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KAORI FUJIHARA

プロフィール

大学卒業後、障害を持った子どもの指導教師、福祉事務所、地域雑誌、学童保育等を得てオイリュトミーを始める。

笠井叡主催の「天使館」オイリュトミーシューレ2期生卒業
フォルトウ”ィルディングクラスを(1年)へてオランダへ。
HOGESHOOL  HELICON(オランダオイリュトミーアカデミー)卒、芸術オイリュトミー、教育オイリュトミー修得

オランダのオイリュトミーアカデミーは国が認める大学として存在しており、教育オイリュトミーは国(オランダの文部省)
からディプロマが出ている。
通常なら6年間かかるオイリュトミストと教育オイリュトミストのカリュキラムを4年間に凝縮しているため、ドイツ、スイス等の学校では午後2時位には終わる授業もオランダのアカデミーでは夕方5時すぎまで授業がある。その上、土曜日も授業があり、さらにシュタイナー学校での教育実習があるため、夏休みも1ヶ月しかない。
かなり、ハードなカリュキラムである。
そのため、留年生は続出で結局6年間かかる人も少なくない。

教育オイリュトミーのカリュキラムは重厚な内容で、構成されている。
オイリュトミーと各学年のカリュキラムとの関連を繋げるため「幼児教育~12年生」までのシュタイナー教育を学ぶ教育実習をシュタイナー学校で行う。
その後各学年のカリュキラムとオイリュトミーの関連にもとずいた内容を「1~12年生」までしっかり作り、授業の中で生徒役、教師役を行い学び合う。
最終的に、シュタイナー学校で「1~12年生」を教える研修実習を行うことが義務づけられている。

オランダでは 低学年(1〜8)はブレダのシューレで、
高学年(9〜12)はナイメーヘンのシューレで

日本では 東京シュタイナー学校(現在の藤野)と
京田辺シュタイナー学校でそれぞれ約4ヶ月づつ実習をさせていただいた。

幼稚園においては、国立の「星の子幼稚園」にて2ヶ月お世話になった。

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バイオグラフィー

三重県生まれ
1月12日(ペスタロッチと同じ)

幼児期
生後3ヶ月ころから父、愛犬(シェパード)と共に散歩に出かけるのが日課。
生まれた時は「百合」という名前が候補にあがるほど
母親譲りの色白が、毎日海への散歩の成果で、小麦色の肌となる。(今ではシミだらけ)
「海のむこうには沢山の国があるんだよ」との父の言葉に、
小さな頃から海の向こう側の遥か彼方を、想像し夢みていた。
海は私にとって想像と興味索然の場であった。もちろん今でも

父と母の誤解により3歳からピアノを始めるが、、、、、
本人は踊るのが好きで踊りながら歩いていた。(母曰く)
外遊びが大好きで原っぱでバレリーナーの様にくるくると片足でまわり眼をとじて片足で立つのが得意という平衡感覚の良さが特技。
未だ乗り物に酔った事はない。

学童期
ピアノも好きだったがそれ以上にバレエへの想いは強かった。(がバレエ教室はなかった)
小4年の時、父が末期の癌になり入院、また同居の祖母も腰の骨を折り入院。
(父は あの世に行きかけたが3回の大手術の後奇跡的に回復、今も生きている)
母は公務員(非行問題担当)を勤めながら父と祖母の面倒を看る。
好きだったピアノを辞め、買い物、夕食作りは日課となる。

学校では、本(活字)好きで図書館に入り浸り。
この頃(小4)バネッサ.レットグレープ主演「裸足のイサドラ」の映画の影響で『詩を踊る』の言葉とトウシューズをはかないイサドラ.ダンカンにあこがれる。
また「シベールの日曜日」と言うフランス映画がきっかけで映画の世界に引き込まれる。
主人公のシベールと当時の自分を重ね、馨=シベールになっていた。
(その後ビクトリア.エリセ監督の「ミツバチのささやき」「エルスール」に感動)
ラフマニノフ、チャイコフスキー、バッハと共にビートルズ三昧の日々。

中学時代
海外へのあこがれは大きく、中1の春にこっそり、アメリカ(NYタイムス)イギリス、フランス、オーストラリア
の新聞社に文通希望の手紙を出す。アメリカとイギリスから返事があった。(海外デビューである)

クラッシックも聞きつつ、プログレッシブ.ロックにはまっていく。
キングクリムゾンの「エピタフ」が私のテーマ曲。
クラブは軟式テニスの前衛、レギュラーだったが決勝まで残った事はない。
渋谷陽一のラジオ番組を聴き、ロッキング.オンは創刊号からの愛読者。
中2の時母親の猛反対を押切ロックグループ「クィーン」のコンサート初体験
しかしこの1週間前はシューベルトの「弦楽四重奏」の公演に行く。
私にとってクラッシックもロックも大好きな音楽であった。

読書はヘルマン.ヘッセの世界にどっぷり。
フロイト、からユングへと人間の見えない部分に興味が深まる。

高校時代
本好きがこうじて、高校で点訳サークルを立ち上げ、詩、童話を点訳する
盲学校との交流のなかで、毎週「詩」を点訳し盲学校の低学年の授業で使ってもらう。
この頃「車いすを押す」ボランティアをとうして社会の不条理を感じ始める。
図書館でR.シュタイナーの本と出会い、オイリュトミーをはじめて知る。
大学受験は希望大学に失敗(国公立、家から通えるところと限定され)
浪人する経済的余裕もなく、
意気消沈する事なく捲土重来、別の方向に進む。

大学時代
仕送りなしのバイト生活。
(書店、しコード屋、家庭教師、チラシ配り等)
しかし、長期休みは、北海道、九州、東北、関西等、周遊券と時刻表を片手に「かに族」になり旅をする。
総理府主催「青年の船」に参加、日本国中、海外からの青年と共に約2ヶ月間の研修船の旅を満喫
4年の春、大阪府の試験に合格、福祉教育の現場で働く。

21歳以降
下町で地域雑誌の助っ人
東京郊外に引っ越したあとは
「アパルトヘイトの問題」勉強会(吉田ルイ子さんを招いて)
「脱原発の出前講座」故高木仁三郎さんを招いて    
「点字で市報を」作成サークル活動
青空バザー(年に2回、収益はユニセフ、福祉施設寄付)
学童保育指導員
生活クラブ生協活動等その他仲間たちといろんな活動を行う。
その後オイリュトミーを学ぶ
オイリュトミストとして活動する。

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心に響く言葉

「汝、自信を知れ」と「無知の知」
「無知は罪」

ヒデリノトキハ ナミダヲナガシ
サムサノナツハ  オロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ クニモサレズ
サウユウモノニ ワタシハナリタイ

「人に何かをしてあげるときは、その人が気がつかないようそっとしてあげる事
決して見返りを期待しない事」

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舞台活動

「黄金伝説」(オイリュトミーシューレ在学中)
「vlam」(内なる情熱)
「植物文様」

その他
クリスマスコンサート
メルヘン公演
ライアーとオイリュトミーなど季節の公演を行っている。

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教育活動

現在の活動

☆福岡市内
ラウム(大人のオイリュトミー)
土曜学校(桧原)子どものオイリュトミーと5年生担任

☆福津市
タンポポ子ども園(幼児のオイリュトミー、キンダーライアー)
宮地獄(大人のオイリュトミー)

☆柳川(幼児のオイリュトミー{春から}、大人のオイリュトミー)

☆北九州(幼児、学童、大人のオイリュトミー)

☆宇部(幼児、学童、大人のオイリュトミー)

☆広島(幼児、学童、大人のオイリュトミー)

その他(これまでの活動)
九州大学(芸術の初源を訪ねて)
八女子どもの居場所
福岡市内の小学校(学習支援クラス)
仁田原小学校3、5年(現在は統合されている)

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