Eurythmy

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オイリュトミーとは

オイリュトミー(Eurythmy)とはギリシャ語に源を持つ言葉で、「オイ」(Eu)は美しい、「リュトミー」はリズムの意です。動きが真、善、美のリズムと調和することを表します。ドイツの教育哲学思想家、ルドルフ・シュタイナー(1861~1925)が自らの世界観「アントロポゾフィー」(人智学)を基盤として生み出した身体の運動表現芸術を言います。

シュタイナーは「人間は身体、心、精神の三性から成る」という人間像を出発点に哲学・医学・芸術・教育・農業などの幅広い分野で活動をしました。ここで言う「身体」とは、近代西洋医学の対象である身体にとどまらず、東洋医学的な「生きたからだ」としての身体までを含むものです。また「心」とは、知、情、意、つまり、それぞれの人の心の営みのことです。そして「精神」とは、五感や感情を超え、私たちの生きてる基本とも言える命を支える普遍的で根本的な働きです。

私たちは身体、心、精神相互の結びつきの中で地上にしっかり足をつけながらも、過度に物質的にならず、人として自由に、社会の権威にとらわれずに生きていこうとしています。オイリュトミーは、こうした私たちの思いをからだを通して実現していく「自由への教育」なのです。しかし一方で、考えることを、「世界に向って働きかける生きた力」ととらえることが、机上の哲学とはちがいます。また「精神的な法則」を、盲目的に信じるのでもありません。

オイリュトミーが表現するものには大きく「言葉」と「音楽」があります。

1.言葉のオイリュトミー:「見える言葉」の表現として

言葉によってはじめて、私たちの内面は外の世界に伝えられます。いろいろな感情や思考、壮大な思想も、すべては言葉をとうして表現されていくのです。自然現象や人の営みのような何かに触れた時、私たちの心に思いや考えが生じると、そこには目に見えない動きの衝動が起き、通常はその衝動は発声器官をとおり、声となって外に伝えられます。オイリュトミーもまた、こうした言葉から始まるからだの動きを基本とし、詩や物語を通した言葉を発する時に、のど、口などの言語器官に生じる動きのプロセスを全身へと変容させたものです。いわば、「見える言葉」ということができます。

2.音楽のオイリュトミー:「見える音楽」の表現として

音楽オイリュトミーとしては、音楽や音の世界を生み出してきたさまざまな音楽的な合法規制がからだの動きによって表現されます。たとえば長調、単調によって、動きの傾向が左に向かうか、右に向かうか、動きの文法のようなものが定められています。こうして音楽を聴覚だけでとらえるのではなく、より身体的な表現として昇華させたもの、ここに音楽オイリュトミーの魅力が反映されています。いわば、「見える音楽」なのです。

こうして見ていけば、オイリュトミーはさらに、他のあらゆる芸術と統合していく無限の可能性を持っています。たとえば、詩に込められた思いをからだで伝えること、グリム童話や寓話のような物語に込められたアレゴリー(寓意)をよりわかりやすくからだで表現していくこと。さらにオイリュトミーの表現は、色彩の持つ意味や役割を照明の効果によって増幅したり、独自の建築様式にのっとって構成された空間と作用しあいながら、より深い感動を生み出すからだのフォルム構成にまでおよびます。

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オイリュトミーの教育的な力

私たちの生命力と心の力と精神性の相互作用を高めながら、からだの自由な動きを生み出していくオイリュトミーは、時代を超えて人を育てていく、いわば教育的な芸術表現活動とも言えます。そのため人智学の創始者ルドルフ・シュタイナーは、当初からオイリュトミーを子どもたちの教育に深く根づかせており、からだと心のかかわりをたいせつにしてきたシュタイナー教育の中でも、とりわけ中心的な役割を果たしてきました。

1.赤ちゃんから三歳のころ

子どもは、生まれてからほぼ三歳になるまでの間に、しっかりと立ち、言葉をおぼえ、考える力が育ち始めます。子どものオイリュトミーでは、この三つの力を育み、年齢に応じて変容させていきます。

2.幼児のころ

幼児期からオイリュトミーを始めます。
幼児に向かう場合、オイリュトミーを指導する先生(オイリュトミスト)は、幼児の模倣しようとする感覚に働きかけます。しかし幼児期には、なにかを教え込むのではなく、ひたすら楽しい動きの中にオイリュトミーが、息づいていなければなりません。そのため、身近でわかりやすい昔話や季節のお話を通して、リズムや音の身振りを体験していきます。それは、小学生の低学年まで継続されます。
その頃の子どもたちのオイリュトミーでは、子どもたちの呼吸を整え、新陳代謝を促し、しっかり立つ力を育てます。とりわけ現代の社会生活のように暮らしのリズムが失われた環境にあっては、「しっかり立ち、歩く、動く」と言う基本的な行為すら十分身についているとは言えません。そうした力を子どもたちが学びとるだけでも、とても深い感動やまわりの世界に気づいていく感覚教育がなされていくのです。
体操や体育ではなく、オイリュトミーの時間は、子どもたちがみずから生きる意思を育んでいくかけがえのない機会となるのです。

3.小学生~中学生~高校生のころ

小学一年生に入った学齢期の子どもたちは、だんだんと模倣から自覚的な動きへと導かれていきます。
言葉で言えば、まず母音と子音の違いを覚え、そこから直線、曲線のうごきの違いを生み出し、韻律、文法、詩の内容の表情をからだの動きで表現します。 音楽では、リズムやメロディのながれ、音階、音程、長調、短調、和声の意味や違いをもとらえています。
また、たっぷりと長い時間をかけて、詩や文学、音楽の作品をからだの動きで奏でていきます。こうした自由なからだの動きは、書物や文字情報を読んだり、書いたり、聞いたりする時にも大きな力となり、心の深い洞察力や複雑な世界の出来事と向き合う心の次元をより高める行為となっていくのです。
オイリュトミーを通して、たがいに「聴き合う」、相手を「感じる」力も高められ、一人ひとりが自立しながら他者との関係をつくっていくという実践的な社会性も育まれていきます。

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